心育む日々のコト

心を育む暮らしの方法を模索中です♪

心育む日々のコト【亡き祖母を想う】

心育む日々のコト toriです*

 

7月になりましたね*

紫陽花の季節になると私の祖母のことを想い出します。

 

祖母の一番好きだった花。

 

そしてちょうどこの時期は私が結婚式を挙げた季節でもあります。

 

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テーマフラワーは紫陽花にしました。

ブーケだけでなく、装花にも紫陽花を使い

祖母も喜んでくれたようです

 

 

私は昔から大のおばあちゃん子。

 

父親が居なかったこともあり、バリバリ仕事をする私の母親に代わって

私を育ててくれたことも大きい。

 

社会人になってからも実家と言えば帰る場所は決まって祖母の家で

 

私が出産後、里帰りとして戻った家も祖母の家でした。

 

その1年後、ちょうどこの時期に祖母のガンが発覚し、

余命宣告と同じわずか1か月半でこの世を去りました。

 

私がその年の母の日に贈っていた「紫陽花の花」に

たいそう喜んでくれて

 

嬉しそうで眺めていたのを今でも鮮明に思い出せます。

 

祖母が亡くなってから2年が経ち、

祖母の家の庭には咲いたことが無かった

紫陽花の花が咲いているそうです。

 

そのことを聞いて祖母が近くにいるような気がしてならないのです。

 

私は祖母が亡くなるまで

祖母の生き方に魅せられて

その姿に「生きる」ことと

本当の強さを学んだ。

 

祖母は今まで孤独だと言っていた

両親がおらず義母に育てられ、

私の祖父であるおじいちゃんは祖母が2人の娘を出産した

翌月に事故で亡くしている。

その後再婚した祖父は私が1歳の頃、ガンで亡くしている。

 

こんなにも壮絶な人生を経てきた祖母が

亡くなる直前に言っていたのが

「この30年は幸せだった」という言葉。

 

その時私の年は30歳。

 

祖母にとってのかけがえのない時間に孫として

幸せを共有出来ていたのだと思うと

私にとってこの上なく嬉しい言葉だった。

 

祖母はガンが宣告された後、

抗がん剤治療などは一切しないと言い、

これが私の寿命と言い切り

最後まで自分らしく生活したいから

延命治療などはしません。と

痛み止めの薬だけ少しもらって自宅に帰ってきた。

 

それから亡くなるまで今まで通り変わらず生活して、

亡くなる数日前まで、自分でトイレに行って

 

話せる時には自分がヘルパーの仕事をしていたこともあって

私の妹に「こういう時はこう介助するといいのよ。私で練習しなさい」

と私たちに伝えられる限りのことを身を以って伝え続けてくれた。

 

妹は最後、頼りになるほど、祖母をしっかりとした手つきで介助していた。

 

今まで誰にも迷惑かけてこなかった祖母らしく

最後の最後まで誰にも迷惑かけないようにと、

亡くなっていきました。

 

その姿、生き様は私たちの心に生き続ける。

 

私は祖母の孫で良かったと誇りに思う。

 

あの時、余命なんで決められなければ・・・

あの時、〇〇だったら・・・とか

思ったこともあるけれど、

それはガンに対してのことだけであって、

祖母の生き方を考えてみると

そのことは関係ないのだな、と思う。

 

この青を見ながらそんなことを感じるのでした。

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最後までお読み下さりありがとうございます*

 

 

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